大鋸引という職人達の町
- 投稿日
- 執筆者
- 中岡裕志
- 掲載元
- ミニだより119号
大鋸引という職人達の集住の地
境川に架かる朱色の欄干の遊行寺橋を渡る。従来はこの橋を、大鋸橋と呼んでいた。保永堂版歌川広重「東海道五十三次之内藤澤」の浮世絵にある木橋が、「大鋸橋」である。江ノ島や大山詣へ行く人であろうか、大鋸橋を渡っている。
滝ノ川に架かる舟玉橋を渡る。大鋸二丁目あたりは、戦国時代、大鋸引という職人達が集住していたことから大鋸という地名になったという。彼らは、船大工や玉縄城の御用などをしていた。
大鋸引は、二人一組で大型の縦挽き鋸を使って製材する職人で、大鋸とは、本来この鋸のことを指している。大鋸は大陸から渡来し、十五世紀に普及すると、製材精度は飛躍的に向上した。このことから、戦国大名北条氏から大鋸引と呼ばれ、重用された。
鎌倉道を少し歩くと、船玉神社がある。阿吽(あうん)の狛犬が迎えてくれる。祭神は、弟橘姫命(おとたちばなのひめのみこと)。航海安全の神である。昔は、相模湾から境川を登った舟が、この辺りで人や荷物の積み降ろしをしていたという。
青空や大鋸引の里の冬
大鋸引は、材木を伐採し、製材し、川舟を造る。川は、水流や風の影響を受けずに安定的に材木などの物流を運べるので、川舟を使用して玉縄城の御用をしていたのである。
鎌倉時代に、三代将軍・源実朝が夢想により入宋を企てられ、先ず材木を選んで堅固に乗船を造るように言われたという。その時、鎌倉から近くに良材があるとお聞きになった。
まさに「良材があるとお聞きになった所が大鋸」であった。早速数百人の人夫を集め、昼夜を問わず次々と材を伐り、これを筏に組んで川を下り、由比ヶ浜においてまもなく乗船が出来上がった。しかし、海に降ろしたが重くて浮かばず、入宋の企てはなくなったという。
実朝の入宋紅葉散る頃のここ大鋸は、かつては、大鋸引という職人達の集住の地であった。